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サウルの息子@ヒューマントラストシネマ有楽町


映画『サウルの息子』予告編

 

■あらすじ
舞台は1944年のアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所。ユダヤ人のサウルはガス室の死体処理をするユダヤ人収容者の特殊部隊・ゾンダーコマンドだった。ある日、ガス室で死に切れなかった少年を発見する。やがて少年は息の根を止められるが、サウルはその少年が自分の息子であったと告げ、ユダヤ教での埋葬を行うために手を尽くす。その一方で、仲間たちの企てた反乱の決行も近付いていた。緊迫する状況の中、サウルは何を選ぶのか。

 映像がすごくよかった。サウルの背後から撮影してサウルの後ろ姿にピントを合わせた映像が多くて、サウルを通じて収容所を見るような感覚。狭苦しいスタンダードサイズの画面のお陰で劇中の息苦しさがますます伝わるし、ほんとうに見せ方が上手かったと思う。特にガス室のシーンはスクリーンを通して「見る」というよりあちら側に「いる」ような感覚になってくるほど。

ガス室でのサウルたちの「仕事」は同じ民族である人々をガス室に送り、苦悶の声が満ちる中、脱衣所に残された衣服から金目のものを回収すること。執行後は死体の山を運び、焼き払い、灰を川へ廃棄すること。ゾンダーコマンダーであるサウルはひたすらこの仕事を繰り返します。ちなみにこの遺体を焼くという行為ですが、ユダヤ教では火葬してしまうと生き返ることができないと言われているので「完全な死」を与えられたことになるらしい…。

劇中で「お前に息子はいないだろう」と問い詰められるサウルが「妻との子ではない」と答えるのだけども、このやりとりの真偽は最後まで明かされません。結局のところどうだったのかはわからないままですが、私はそうではないのではないかという印象を受けました。本当の息子であればガス室で見付けた時にもっと形振り構わず必死になったんじゃないかなぁ。そうなってくると、何故あの少年を埋葬することに固執したのかという疑問が生まれます。

ここで前述のユダヤ教の教義の話に戻るんですが、一度息を吹き返した=復活した子供をまた灰にすることなどできないと思ったとか…?このあたりは一切説明がないので想像するしかないのだけども、そうして見付け出した少年を教義に則って埋葬することでこれまで死んでいった人に報いることができると考えたのではないかなぁ、と。

そしてラストシーンの笑顔の意味。姿を見られたことにより自分たちのしたことの意義がいつか子供に伝わり後世に伝えられると思った、とか…?その場合、サウルたちの存在を知ってくれた彼もまた「サウルの息子」であるとか…?もしくは、ガス室で「復活」した子供が再びサウル達の元に舞い戻ったと思ったとか…?

いくら考えても考え足りないなぁ。見当違いのことを言っていたらお恥ずかしいのですが、この映画はそうして考えることに意義があるような気がします。重くて暗くて辛いけれど本当に良い映画だと思うので、是非劇場に足を運んでいただきたいなぁ。