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聲の形@シネマサンシャイン池袋


映画『聲の形』 ロングPV

 

■あらすじ
小学6年生の将也のクラスに聴覚障害を持つ少女・硝子が転校してくる。ガキ大将だった将也は硝子をからかい、やがてクラス全体が硝子へのいじめに向かってしまう。しかし、ひょんなことからいじめの標的が将也へ移り、硝子は転校してしまう。それから五年後。高校生になった将也は小学校時代の一件以来人とうまくコミュニケーションが取れなくなり、飛び降り自殺を決意していたが、最後に硝子のいる手話教室へと向かう決意をする。硝子と出会い、将也の止まっていた時間がぎこちなく動き始める。

原作未読。原作はもっと群像劇的な描き方をされているらしいのですが、映画版は将也視点で描かれていました。予告を目にした時は硝子の障害に目が向いてしまったのだけど、硝子だけではなく登場人物全員が丁寧に描かれていてとても良かった。個人的に、暫定今年一番のアニメ映画となりました。

可愛らしい絵柄に反してテーマが非常に重くて、でも誰しもが味わったことのある教室の中の閉塞感を上手く描き出していて、誰もがどこかしらに懐かしさを覚えたんじゃないかなぁ…。いきなりキレて高圧的な態度になる担任教師には懐かしささえ感じました。いた…こういうのいた…。そういう「あるある感」が重なる内に、自然とスクリーンの中の物語との距離感が縮まっていって、とてもよく作られているなぁ…としみじみ。

空白の描き方がとても良かったです。将也の視点で描かれているので将也が分からなかったことは分からないまま、というのも面白かったな。補聴器代を弁償しに行った母親がどうして耳から血を流していたのかとか、結絃を探し回っていた硝子の母親がびしょ濡れだったこととか、あのあたりについて言及されなかったのも良かった。細かいところまで描いた上で読み手に委ねてくれるのに、正解はない。そういう突き放し方もリアルで面白いなぁと。

アニメーションとしては京アニらしくやはり水の描き方がとても美しかったのですが、自然の音の入れ方も上手かったなぁ…。とくに最後の橋の上で将也と硝子が話すシーンで聞こえた虫の音などの自然の音がすごかった。

あとやはりこの話は人物ありきだと思うので、気になった人々について少々触れてみます。

川井さんはもう傍観者あるあるという感じだけど、あまりにもあからさますぎて不気味だった。取り繕っているわけでもなく本気で「私は何もしていない」って思っていそうなあたり、認知が歪みすぎていて怖い。千羽鶴のシーンは、完成しなかったというのは一人で完遂することもできず手伝ってくれる人もおらず…という状態だったのかなと思うと、そういうあたりにも彼女の人柄というか人格が表れていたような気がします。

硝子は優しいわけでも性格が良いわけでもましてや聖母のように何でも許す人格者ではなく、ただ「自分は人を嫌ってはいけない」と思い込んでいるのではないかなぁ、と思いました。「自分は不完全な人間で人に迷惑をかけているから、嫌いになんてなったりしてはいけない」というある種の逃避というか。だからああやって自分が全て悪い、自分のせいだと思ってしまうのかなぁ…。

植野は気持ちとしては分からんでもないけど、高校生になってもなお補聴器を取り上げてからかったのがダメだった…。あのシーンがなければ好きなキャラだったかもしれないけど、あのシーン一つでもうだめでした。小学校の頃と同じようにおふざけをしたつもりだったのか?とも思ったけど、それにしたってまったく理解ができない。ただ、ある意味この子が一番差別をしなかったのではないかなとも思う。障害を抜きにして硝子の性格が嫌いだと面と向かって言ってたのはすごいインパクトだった。

…というのが現時点での個人的な感想なのだけど、何度か見たり、もっと考えたりしたらまた変わってくる気がします。でもなんというか、自分に理解することのできない人がいようとも、目をそういう人が「いる」ということを理解するだけで意味はあるんだろうな。目をそむけた方が楽だけど、×印が取れたら世界が広がるのかもしれないなぁ。

鑑賞後にあれこれと考えると、映画を観てから得る情報量の方が多い気さえします。ほんとうに良い映画でした。