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アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち@ヒューマントラストシネマ有楽町


マーティン・フリーマン主演映画『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』予告編

■あらすじ
終戦から15年後の1960年、ついに元ナチス親衛隊長アドルフ・アイヒマンが逮捕され、イスラエルで裁判が行われることになった。テレビプロデューサーのミルトンとドキュメンタリー監督のレオは、世紀の裁判を映像にして世界に送り出す計画を立てる。中継の許可を得るために奔走し、脅迫に屈さずに真実を映し出そうとする二人だったが、相反する報道への姿勢が元になって衝突してしまう。放送を完遂させることはできるのか。そして、それを見た民衆はどのように受け取るのか。

 アイヒマンをモンスターや狂人のように誇張することはなくあくまでも平凡な人間として映し出そうとするレオと、数字を取るためにテレビショー的に映したいというミルトンの対峙を描きながらも、クルーや町の人々や家族もきちんと描いていたのがすごく良かった。国籍やそれぞれの職業、大戦中の立ち位置などによってとらえ方の異なる問題なので、それぞれを描くことによって観客にも伝わりやすくなるというか。

報道チームのみだけでなく、脇を固めた人々もそれぞれが重要な役目を持っていたかと。脅迫に屈さず最後まで夫の背中を推し続けたミルトンの妻はすごい。レオの泊まった宿の女主人もとてもよかった…。さばさばとした物言いはどこにでもいるお母さんという風情なのですが、彼女の持つ背景の重さと言ったら。そしてレオと食事の場で向かい合うシーンが印象深かったなぁ。あと、レオの息子も良かった。テレビ画面を真っ直ぐに見つめる子供の瞳は、本作中盤での数少ない希望でした。

そうして報道された結果、ホロコーストへの認識がどうなったのかというのは現代の人々の認識を見れば明らか。最初の報道がこうだったからこそ、今日に至るまで「誰でも危険な思想を持ち得る」という意識が根付いているのかもしれないし、少なからず抑制につながっているのかもしれない。…と思うと、報道についてもいろいろと考えてしまうなぁ…。

あとこの映画、「食」が良く絡んできたような気がします。放送一日目を終えた祝いの席だったり、意気消沈したチームの面々が「とにかく今は食べよう」と食事を進めるシーンだったり。レオが宿泊先のホテルのオーナーの女性から差し出された料理を口にするシーンは特に印象深かったなぁ。生きることは食べることと言いますが、前に進んで行く決意をするようなシーンで食事のシーンが挟まることが多かったので、そういう意味もあったのかな。

そして何より、この重厚な作品がたった90分というのがすごい…!よくぞここまできれいに纏め上げたもんだぁあと感心してしまう。